当時の回転式フラッシャー魚探は、高電圧・小電流で点灯する「ネオン管」を用いるのが世界的な常識でした。 そんな中、米国President社から舞い込んだのは**「LEDでカラーにできないか」**という前代未聞の打診。創業者社長に社長室へ呼ばれ、私のエンジニア人生は「世界初」への挑戦から幕を開けました。
[My Career Archive 1.]
1978年、東京から豊橋へ移り住んだばかりの私のエンジニア人生は、一通の「無理難題」から始まりました。
当時、回転式フラッシャー魚探の発光源は「ネオン管」が常識であり、LEDを用いたフラッシャーは世界に存在していませんでした。
そんな折、米国のPresident社から、「LEDでカラー表示を実現できないか」という打診が当時の創業者社長に持ち込まれました。社長室での会議に呼ばれた私は、その場でこの未知のプロジェクトへの参画を命じられたのです。
実はその直前、先輩社員が固定式の2色LEDを縦に32個並べた「カラー表示機」を開発・発表していました。その技術的な芽があったからこそ、President社も「本多電子ならできるはずだ」と期待を寄せたのかもしれません。
LEDによるカラー表示を回転体で実現するためには、当時の最先端技術を結集する必要がありました。
スタンレー電気様:まだ一般的ではなかったカラーLEDの実現に向け、チップボンディングの工程で多大なる技術協力をいただきました。
スミ電気様:回転するLEDへ安定した電力を送るための「カーボンブラシ」開発。この泥臭くも精密な給電機構の完成が、世界初の製品化を支えました。
キヤノン製モーター:水中での音速を正確に刻むための精密な回転制御には、彼らのモーターが不可欠でした。
開発は常に現場と共にありました。ある暑い日、浜名湖に和船を漕ぎ出し、湖上で試作機の実証実験を行っていた時のことです。
ふとした拍子にバランスを崩し、波打ち際で派手に落水。ずぶ濡れのまま日向で「日干し」をしてから帰社した私を見て、当時の部長が放った**「あれ、なんかさっぱりしてるけど風呂にでも入ってきたの?」**という軽妙な言葉は、張り詰めた開発現場の空気を和ませてくれました。
しかし、量産開始後に待ち受けていたのは厳しい現実でした。
軸受けの摩耗、ボンドの揮発成分による接触不良、筐体の断裂。 市場から戻ってくる不具合の一つ一つが、私に「理論だけでは超えられない品質の壁」を教えてくれました。
会社生活の後半、私が主宰した若手向けの勉強会で、最も受講生が身を乗り出して聞いたのは、この「Rainbow 360」の失敗談でした。
開発は難航を極めました。LEDを点灯させるには定電圧で一定の電流を流し続ける必要がありますが、回転体への給電という大きな壁が立ちはだかりました。
特注のカーボンブラシ 従来の魚探の接点はネオン管用の仕様。LEDには不向きであったため、出入りの業者であったスミ電気さんに相談し、モーター用のカーボンブラシを特注することで解決の糸口を掴みました。
回転による輝度不足 もう一つの誤算は「光の分散」でした。円盤に取り付けたLEDを回転させると、光が分散してしまい、屋外ではほとんど視認できないのです。「これは不可能ではないか…」と弱気になりかけた時、スタンレー電気さんから「高輝度赤色LED開発」のニュースが届きます。早速問い合せ、実用化のめどを立てることができました。
実証実験は過酷でした。浜名湖に和船を漕ぎ出し、湖上でバランスを崩して落水したこともあります。暑い時期だったので日干しして会社に戻ると、当時の部長に**「あれ、なんかさっぱりしてるけど風呂にでも入ってきたの?」**と笑われたのは、今では温かい思い出です。
量産後も、軸受けの損耗やボンドの揮発成分による接触不良など、次々と問題が噴出しました。しかし、この時泥臭く対応した経験こそが、後のデジタル深度計「DL-1」やソナー開発、そして医療用超音波診断装置へと続く私の「品質へのこだわり」の原点となりました。
[My Career Archive 1.]
1978年、東京から豊橋へ移り住んだばかりの私のエンジニア人生は、一通の「無理難題」から始まりました。
当時、回転式フラッシャー魚探の発光源は「ネオン管」が常識であり、LEDを用いたフラッシャーは世界に存在していませんでした。
そんな折、米国のPresident社から、「LEDでカラー表示を実現できないか」という打診が当時の創業者社長に持ち込まれました。社長室での会議に呼ばれた私は、その場でこの未知のプロジェクトへの参画を命じられたのです。
実はその直前、先輩社員が固定式の2色LEDを縦に32個並べた「カラー表示機」を開発・発表していました。その技術的な芽があったからこそ、President社も「本多電子ならできるはずだ」と期待を寄せたのかもしれません。
LEDによるカラー表示を回転体で実現するためには、当時の最先端技術を結集する必要がありました。
スタンレー電気様:まだ一般的ではなかったカラーLEDの実現に向け、チップボンディングの工程で多大なる技術協力をいただきました。
スミ電気様:回転するLEDへ安定した電力を送るための「カーボンブラシ」開発。この泥臭くも精密な給電機構の完成が、世界初の製品化を支えました。
キヤノン製モーター:水中での音速を正確に刻むための精密な回転制御には、彼らのモーターが不可欠でした。
開発は常に現場と共にありました。ある暑い日、浜名湖に和船を漕ぎ出し、湖上で試作機の実証実験を行っていた時のことです。
ふとした拍子にバランスを崩し、波打ち際で派手に落水。ずぶ濡れのまま日向で「日干し」をしてから帰社した私を見て、当時の部長が放った**「あれ、なんかさっぱりしてるけど風呂にでも入ってきたの?」**という軽妙な言葉は、張り詰めた開発現場の空気を和ませてくれました。
しかし、量産開始後に待ち受けていたのは厳しい現実でした。
軸受けの摩耗、ボンドの揮発成分による接触不良、筐体の断裂。 市場から戻ってくる不具合の一つ一つが、私に「理論だけでは超えられない品質の壁」を教えてくれました。
会社生活の後半、私が主宰した若手向けの勉強会で、最も受講生が身を乗り出して聞いたのは、この「Rainbow 360」の失敗談でした。